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海会寺跡は、いつの寺で、どう掘り出されたのか

2026-10-22歴史と地理

信達大苗代の一岡神社のまわりには、1300年以上前に建てられた寺の跡があります。国の史跡「海会寺跡(かいえじあと)」です。 建物は残っていませんが、地面の下に土台や瓦が残っていて、昭和の発掘で寺の建物の並び方や、寺を建てた人々の住まいまで分かってきました。 出土品302点は国の重要文化財に指定され、跡地は史跡公園として、出土品は向かいの埋蔵文化財センターで見ることができます。 近くを通っていても、なぜ国の史跡なのか、いつ、どう調べられたのかを知る機会は多くありません。以下は、市や大阪府、国の資料で確かめられた範囲の話です。

いつごろの寺か

海会寺跡は市域の北東部、大苗代の集落の東、新家川の左岸の段丘の上にあります。 市の発掘報告書は、寺ができたのを7世紀の第3四半期(おおよそ650年から675年)としています。美術史の時代区分でいう白鳳時代にあたります。寺は9世紀ごろまで続き、中世にも同じ場所に寺があったことが分かっています。 なお、大阪府の史跡紹介ページは、時代を「奈良時代」と書いています。 建物の並び方は、奈良県斑鳩町の法隆寺と同じ「法隆寺式」と呼ばれる配置です。 また、寺ができたときの軒丸瓦(軒先に並べる丸い瓦)は、吉備池廃寺や四天王寺の瓦と同じ型で作られたものでした。文様はハスの花をかたどっています。 市議会での教育部長の答弁(2024年)は、こうした瓦から、飛鳥時代の政治の中心と深い関係のもとで建てられた寺と考えられている、と説明しています。

どのように見つかり、調べられたか

寺の跡があることは、江戸時代から知られていました。昭和の初めの調査で法隆寺と同じ配置だと報告され、広く知られるようになりました。 寺の西隣にあった稲荷山という丘では、昭和30年代の宅地開発のときに瓦を焼いた窯が見つかっています。 本格的な発掘は、大阪府教育委員会が昭和51年(1976年)と昭和56年(1981年)に行いました。寺の建物の跡と、寺の東側で大きな掘立柱建物(地面に穴を掘って柱を立てた建物)の跡が確認されました。 これを受けて、市教育委員会は調査指導委員会を置き、昭和58年から61年(1983年から1986年)までの4年間、跡を長く保存して生かすための学術調査を行いました。成果は1984年の範囲確認調査の概要報告と、1987年9月の報告書『海会寺』にまとめられています。 こうした調査をもとに、海会寺跡は昭和62年(1987年)12月25日に国の史跡に指定されました。

関西空港の工事との関係

市の発掘報告書を読むと、1990年代には関西国際空港の建設と関連する開発、道路の新設で移った住宅の建て替えなどで、市内の緊急発掘が急に増えたことが分かります。 ただ、海会寺跡の主な発掘は1970年代から80年代で、市の調査は保存のための学術調査と説明されています。確かめた資料の中に、海会寺跡の発見や発掘が空港関連の道路工事をきっかけにしたという記述は見つかりませんでした。 空港と時期が重なるのは史跡の整備です。開港から半年後の1995年3月に出た市の報告書の序文は、開港と並べて、平成3年度から進めてきた海会寺跡の整備が終わり史跡公園として開くことを伝えています。

何が出たか

市の学術調査で、金堂、塔、講堂、回廊という寺の主な建物の跡が良い状態で残っていることが分かりました。 寺を建てるときに土を何重にも積んで平らにした大がかりな整地の跡のほか、寺ができたころの瓦窯や鍛冶炉(鉄を加工する炉)も見つかっています。その後の寺のまわりの調査では、南隣で7〜8世紀の瓦窯3基、西隣で7世紀後半の粘土を掘った穴も確認されました。 寺の東側では、7世紀の初めから9世紀の前半まで、11の時期に分けられる集落の跡が見つかりました。8世紀の初めと中ごろには計画的に建てた建物群があり、8世紀初めの3棟は向きや柱の筋をそろえて建てられていました。大阪府の紹介ページは、これを寺を建てた一族の住まいと考えられるとしています。 出土した瓦などのうち302点は、平成7年(1995年)6月に国の重要文化財に指定されました。

いま、どこで何を見られるか

跡地は「史跡海会寺跡広場」として平成3年度から整備され、1995年6月に一般に開放されました。隣の一岡神社と共存するように、木々はできるだけ残してあります。 広場では、金堂、塔、講堂、回廊の土台が調査結果をもとに復元されています。塔の土台は高さ2メートルほどあり、自然石を積んだ壁と大きな礎石が並びます。西の回廊の下には「整地層展示室」があり、何重にも積んだ整地の土の断面を見られます。寺の東側では、8世紀初めの建物3棟の位置を地面に示しています。 広場の前にある泉南市埋蔵文化財センターは、1996年3月に建物ができ、1997年4月に展示施設を一般に開きました。1998年7月からは、重要文化財の出土品を常設で展示する特別展示室があります。1階は市内の発掘調査と出土品の整理や保管、2階は展示という二つの役割を持っています。 2024年の市議会の答弁によると、重要文化財は特別収蔵庫に、市内の発掘で出た土器や瓦はほかの収蔵庫に保管していて、収蔵庫はおよそ9割が埋まっています。2017年の市議会の委員会では、建物が20年以上たち、大きな改修の時期が近づいていることも報告されました。 開館日や時間は変わることがあるので、出かける前にセンター(072-483-6789)に確かめると安心です。電車ではJR阪和線の新家駅から歩いて約20分です。

考えるための問い

・家の近くで、工事の前に発掘をしているのを見たことがありますか。そこで出た物や記録がどこに保管され、だれが見られるのかを知っていますか。 ・収蔵庫がほぼいっぱいで、センターの建物も改修の時期が近づいています。出土品を守る費用と、見に来る人を増やす工夫を、どう釣り合わせればよいと思いますか。 ・1300年以上前、信達の丘に塔を建てるには、どれだけの人手と土や石が要ったのでしょうか。広場の整地層展示室の断面を見ながら考えてみませんか。

出典

- 令和6年第4回定例会(第1号)議事録(泉南市議会・2024年) https://the-sennan.top/yobo/100952 - 令和6年第2回定例会(第2号)議事録(泉南市議会・2024年) https://the-sennan.top/yobo/100930 - 平成29年行財政問題対策特別委員会 議事録(泉南市議会・2017年) https://the-sennan.top/yobo/101998 - 府内の史跡公園等の紹介【史跡海会寺跡広場】(大阪府・2023年更新) https://www.pref.osaka.lg.jp/o180150/bunkazaihogo/bunkazai/kaieji.html - 国指定文化財等データベース「海会寺跡」(文化庁) https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/1838 - 文化遺産オンライン「海会寺跡」(文化庁) https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/205873 - 泉南市埋蔵文化財センター年報 平成24年度(泉南市教育委員会) https://www.city.sennan.lg.jp/material/files/group/32/nenpou24web.pdf - 泉南市埋蔵文化財センター年報 平成26年度(泉南市教育委員会) https://www.city.sennan.lg.jp/material/files/group/32/02417356.pdf - 泉南市遺跡群発掘調査報告書X(泉南市教育委員会・1993年) https://www.city.sennan.lg.jp/material/files/group/32/sennansi-isekigun10.pdf - 泉南市遺跡群発掘調査報告書XII(泉南市教育委員会・1995年) https://www.city.sennan.lg.jp/material/files/group/32/sennansi-isekigun12.pdf - 泉南市遺跡群発掘調査報告書XIX(泉南市教育委員会・2002年) https://www.city.sennan.lg.jp/material/files/group/32/sennansi-isekigun19.pdf - 泉南市遺跡群発掘調査報告書XXII(泉南市教育委員会・2005年) https://www.city.sennan.lg.jp/material/files/group/32/sennansi-isekigun22.pdf - 『海会寺』海会寺遺跡発掘調査報告書(泉南市教育委員会・1987年)全国遺跡報告総覧 https://sitereports.nabunken.go.jp/5159 - 『海会寺跡遺跡範囲確認調査概要報告』(泉南市教育委員会・1984年)全国遺跡報告総覧 https://sitereports.nabunken.go.jp/67207